社長の半生と住宅建設をメインに取り組む想いについて

【出生から学生期】

昭和40年7月1日 唐津市内の病院にて誕生
姉と妹に挟まれた3人兄弟の真ん中です。

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名前は「浩爾」・・・この「爾」電話での説明が難しい

「じ」を変換したら「雨」みたいな字の点々をカタカナのメに変えたような字です。
とか、「なんじ」を変換して、サンズイに女で「汝」ですが、
それと同じ意味で雨みたいな字の「爾」(なんじ)が出てきます。
とか、なかなか面倒です。相手の反応もいまひとつ。(笑)

両親が小学校の教員で、就学までは近所の人に日中は預けられ小学生からは鍵っ子。
真ん中の子だったためか放ったらかしでしたので、毎日、遊びほうけてました。
勿論、宿題は後回し。・・・で、怒られる。

小学校の裏が海の浜辺で、家も海の近く。浜を通って帰るので寄り道ばかり。
ガラクタを拾ってきては、よく怒られました。
なんで、子供って、あんなの拾ってくるんでしょうね。(笑)

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小中高を地元の学校に通い、建築との出会いが小学3年生のときでした。

父が自宅を新築。父の兄が大工の棟梁で、おじさんが工事をしてくれました。
毎日、現場を見に行き、手伝いにならない手伝いをしてたのを覚えています。
が、相当邪魔になってたと今にして思います。

これがきっかけで、大工さんになりたい思いが強く生まれ、
中学を卒業したら弟子になると言っておりました。
ところが父が猛反対。
「高校までは出とけ」の一点張りに押し切られ、普通高校へ進学。

中学から高校まで超真面目君から、〇や〇〇〇が当たり前の
ヤンキーくんまで色んな友達と仲良くアソビました。

高校2年生のとき、ギックリ腰になり、その辺りから腰痛が酷くなり
大工さんは無理かなと諦めたんですが、

しかし、建築の仕事はしたかったので、建築の専門学校に進学。
まあまあ真面目に勉強してましたよ。
この頃、車と中型二輪を取得し、バイクに乗ってました。

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【就職、花の都・大東京♪期】

専門学校卒業間近に東京のある建設会社から募集があり、
友達と二人で面接を受け、上京し、就職。

昭和のバブル絶頂期で、ド派手な時代でした。
社員旅行は海外、会社のクルーザーがあり、新宿、渋谷などの
飲み屋や料理店などよく連れてってもらいましたね。

建物も次から次へと建つ時代で、仕事の内容は、現場管理
つまり現場監督なんですが、朝6時から夜10時まで、
2~3ケ月連続勤務なんてザラでした。

今なら超ブラック企業、過労死ラインの2倍以上ですからね。
まあ、周りもみんなこんな感じだったし、
CMでも、「24時間働けますか♪」って流れてましたからね。

若かったですから、仕事が終わってから、朝まで飲んでたり
時代のブームで冬はスキーに行ったり結構楽しんでました。

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担当する建物は、鉄筋コンクリートや鉄骨の住宅や、集合住宅、
店舗、オフィスビルで、木造は皆無でした。

現場管理の内容は、
公的機関への申請や検査の対応と、近隣対策、現場の安全管理
建物の工事がいつから始まっていつ終わるの工程表の作成、
基礎工事から仕上工事までの業者さんの選定と予算決め、
職人さんに設計図を詳しく理解していただくために施工図を作成、
お施主様との打ち合わせや、材料の選定及び品質管理
工事の進捗状況と精度の管理及び工事写真管理
など、多岐にわたりました。

私の場合、2年目からは、1物件を1人で任せられることが多く、
23~24才で億超えの物件を担当し、年間2億くらいの現場を廻しており、
今考えると、恐ろしい限りでしたね。

東京の世田谷と横浜の中区に合わせて9年くらい住んで感じたことは、
自分は田舎者で、都会には馴染めないなあと。

【Uターン、サラリーマン期】

唐津に戻り、地元の建築会社に就職。住宅や公共工事の現場管理をし
当時のめちゃめちゃ怖い社長のプレッシャーのお陰で?(笑)
猛勉強の末、平成9年、一級建築士の免許取得
翌、平成10年に一級施工管理技士の認定試験合格出来ました。

出来ちゃった。あらま・・・ビックリ!

この後、設計の確認申請業務もしておりましたが、
平成26年頃、目の角膜変性症が悪化し、車の運転が怖くなる状態になりました。

【独立、起業】

治療を受け症状は改善したのですが、強烈なドライアイになり、退職。
退職の理由は、ほかにありました。

それは、「お施主様の幸せのために」の仕事が出来ていないと思ったからです。
しかし、小さな工務店では、叶わないことと、どこか諦めている自分がいて、
建築の仕事の方向性を変えなければと思っておりました。

退職後、半年程度、療養し、症状も改善。仕事に支障が無くなったことから
平成28年2月4日、立春の日に『幸甚設計』として事業者届出し、
後日、一級建築士事務所登録

幸いなことに、知人の方や、今までの業者さんからの紹介で仕事をいただき
更に工事中に知り合った業者さんからも紹介をいただいて、ノン営業です。
今でも、依頼があります。

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しかし、どうしても自分の心が満足しません。


【住宅建設への想いと出会い】

令和1年11月11日に法人成りし『株式会社 幸甚社』を設立

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戸建て住宅の注文をいただき、お施主様の喜ぶ姿、笑顔を見た時、
やりがいが生まれ、住宅建設をメインに取り組みたい思いが強くなりました。

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より良い工法や材料、仕入先など探し始めました。

そんな折、特定の工務店でしか扱えない商材に出会ったのです。
「探してたものに、やっと出会えた!」
「自信をもって、お施主様に家づくりを提供できる」と確信しました。

小さな工務店でも、より良い建物を手に届く範囲でご提供できる。

特に、自然素材は秀逸で、この商材を使った建物が自社のメイン商品です。
『自然素材の家づくり研究会』の会員として認定されております。
勿論、それにはこだわりが無い方にも、ラインナップ商品がございます。

自社商品が確立したことから、
住宅専門部門『SAKIHOUSE』を立ち上げました。
どうか、この商品の良さを知っていただきたいと存じます。

お客様の一助となり、「お施主様の幸せのために」をモットーに建物をつくり、
進化し、継承できる企業であり続けます。

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